モノじゃなく習慣の断捨離
私の髪は、くせっ毛です。
縮毛矯正という、一度施術した部分は半永久的にストレートのまま、という技術を20年くらいかけ続けていました。
初めてかけた日、店を出たら雨が降っていたのに、前髪がぐちゃぐちゃにならないことに、めちゃめちゃ感動していたなぁ。
でも、新しく生えてくるのは当然くせ毛なので、2ヶ月も経つと根元にうねりが出ます。全ては根元なんです。根元がうねっ、もさっ、ちりちりしていたら長くてもダメ。
縮毛矯正の料金は高いし、毛にかなりの負担になるので頻繁にはかけられない。白髪染めという年齢的に避けられないことも重なってきた。
結局、一年の半分くらいは不快な気持ちで過ごすわけです。毎日鏡を見てあ〜あ…と気落ちして過ごすのが一年の半分以上。
これってすごいエネルギーの損失なんです。
鏡、って1日何回も見ますよね。洗面所、お風呂、エレベーター、ウィンドウ。自分の綺麗さを確かめるために(!)見るわけじゃないけど、その度に、その実情が視界に入って、不快さを抱き、これが次の矯正までずっと続く…という不安を、一瞬のうちに無意識に抱いて、いつも頭の片隅に残る。そしてそれがベースになる。
こんないたちごっこみたいなことはもう嫌だ!と思って情報を求めていた時に、くせ毛専門の美容師さんがいることを知り、その人のブログを読み尽くして縮毛矯正をやめる決心をしました。
毛質上、ショートにしか出来ません。ショートにしたら、おばさんショートにならないか…というよくわからない価値観にしばらく悩まされる。
結果はというと、大成功。
もうその人じゃないとダメなんです。
技術力の高さに基づく圧倒的な安心感。
独自の技術を持っていて、研究もしているし、私のくせに合わせて、ほんと〜うに丁寧に切ってくれる。
雨の日や伸びてきても、私の癖をもっても、なんとか収まる。そしてラインがキレイ。なぜかチリチリにならない。
すげーっ!奇跡!!神だ!!!
表参道なので、場所柄料金はお高め。
でもセミロングで縮毛矯正をかけていた時よりも、カット頻度は上がったけど、経済的負担はほぼ同じ。
そして何より傷まない。カットに行くのが楽しみになる。信頼しているあの人に頼める、という安心感、喜びがある。
20年もの間続けていた、「くせっ毛は面倒、かっこ悪い」を「避ける」ために続けていた縮毛矯正という習慣。
おばさんショートになってもいいやと、若さを手放したら、若さも快適さも安心も入ってきた。何より、良くないものだと勝手に思っていた、くせ毛という自分の特性をそのまま受け入れていることになる。
習慣の断捨離、他にもまだあるかもしれません。
あなたはいかがですか?