誰も盗むなんて思わなかった
息子くんの自転車が、なくなりました。
お友達と、公共のスポーツセンターに遊びに行って停めていたのですが。
鍵はかけていませんでした。
タイヤが太く、本体?も太くて、いわゆる自転車の鍵(あの丸いやつ)が取り付けられないタイプのもので、ワイヤー鍵しか使えないのですが、あれって凄く面倒くさく、カゴがついていないので走っている最中は落ちないようにどこかにぐるぐると巻きつけておかなくちゃいけないし、そういう作業が超苦手な息子くん。私も放っておいてしまいました、つい(といって3年(^◇^;))。
ま〜しょうがないよな〜と、こうなってしまうなら鍵をかけておくべきだったかもしれないけど、それをしなかったし。
大抵の人は、「盗まれる」ことを前提として、鍵をかけるし、そして新品で購入する時から、店側も「盗まれる」ことを前提に防犯登録し、メーカー側も「盗まれる」前提で鍵を付けているのだと思います。
ところが。
息子くんは、「盗まれるなんて思わなかった、盗むひとがいるなんて知らなかった」と。
これ、私は素直に感動しちゃった。
すごくないですか???
だって、無条件で信じてる。
もちろん、人のものを盗む盗まれる行為がある、ってのは知ってると思いますよ。
信じてるから鍵をかけなくても楽しく遊べたんだし。
そのセンターの人に報告&相談したら、何で鍵をかけておかないんだ!って怒られたらしい…
私は、その人の言ったこと気にしなくていいからね〜!と。
昔の私なら、自分が鍵を用意していなかったにもかかわらず、とにかく怒っていたと思う。
でも、「盗まれる」という前提でいて、「盗まれる」を避ける為に考えたり行動するよりも、「信じる」前提で動いてることのほうが、どれだけ豊かさを享受できるかな。
時には今回の様に失くすこともあるかもしれない。でもモノなんていつかは失くなる。
モノは、手に入れた時点で手放すことまで受け取ることになります。
とは言っても、寝る前に、やっぱり自転車が気になる…と。
そりゃそうだよね、何処へでも連れて行ってくれたものね。いつも一緒にいたんだものね。気になって当たり前。でもあの自転車のおかげで、たくさん友達と遊べたな!嬉しかったな。って考えてみてもいいかもよ。それにね、形のあるものはいつかなくなるんだ。早いか遅いか、自然なのか不自然な形でなのかはわからないけど。
だって、自転車がなかったら、友達が一緒に歩いてくれるかもしれないし。歩いていける公園で遊ぼうと言ってくれるかもしれないし。友達の優しさを受け取ることができるかも。走っていけば体力がつくかも?
私は、何故か見つかる気がしてるんですけどね。
さっ、警察行って届出出してこよう(やることはやっておこう)。
見つからなかったら次はこれ